Truth is Beauty, Beauty is Truth

イギリスの若くして亡くなった詩人 ジョン・キーツの詩の言葉を借りました

自分にとっての 真実 とは 美しいもの とは …
韓国SEOUL
韓国ソウルの旅は すごい食べまくった 旅だった〜ショック

22日晴れ

エコノミー満席のため ラッキーにも 初ビジネスクラス をゲットグッド

あんな 快適な空の旅は ほんっと 初めて飛行機

あれで アメリカ行きたいわ〜 食事はおいしいし 椅子は気持ちいいし

韓国まで3時間しかなくて めっちゃ勿体無かったしょんぼり

ホテルついたの夜の11時なのに 街で早速一発目の御飯食事

注文したのは ユッケジャン。トッポッキ。ツナキムパプ(海苔巻き)。

初 コリア語でコミュニケーション祝

めっちゃ おいしかった! マシッソヨーモグモグ

23日曇り

朝から 免税店めぐりツアー 三つくらいまわったなぁー

勝手にフラフラ外をお散歩してしまったラッキー

昼から自由行動♪ ソウルの繁華街 明洞(ミョンドン)で 買い物星

初ネイルアートに 挑戦ラブ めっちゃ かわいいときめき

そして夜は 焼肉 イェイディナー ブタカルビ 激ウマびっくり

明洞からソウルきっての不夜城 東大門市場へでんしゃ

屋台のおばちゃんの パワー すごし! 宮迫です って言ってた!

いつ寝るの?ってくらい 元気な街は 朝まで賑わうらしいモゴモゴ

夜 焼肉食べたのに 屋台でまたもや プルコギチャプチュ・イカチヂミ

そして 韓国のお酒 マッコリを 飲むービール

24日晴れ

福井からの知り合い 朴さんから 連絡がケータイ

めっちゃおいしい お昼ごはんを ごちそうになるディナー

その後 李成桂が建てた王宮 景福宮へ車

沖縄の首里城に似た色使いに 驚いた。とてもきれいだったラブラブ

ソウル駅近くのスーパー ロッテマートで最後のお買い物さくらんぼ

夜は 初エステに挑戦モゴモゴ メニューは以下の通り…

汗蒸幕→サウナ→ヨモギ蒸し→お風呂→アカスリ→キュウリパック→マッサージ

終わった後は つるりん女

その後 最初の日食べた 近所の韓国料理やにて 

ユッケジャンや海苔巻きを食べまくるぶー 

おばさん カムサハムニダー☆ ごちそうさまでした食事

25日 早朝ホテルを出て 日本に無事帰国嬉しい

おもしろかった 韓国!また行きたい 韓国! 超おいしい 韓国料理!

韓国の 宗教事情(キリスト教徒が30%いるという)歴史(博物館)言語(ハングルよみたい・喋りたい)をもっともっと知りたくなった。英語よりも日本語の方が通じた。コリア語で話したいなーしょんぼり
相当近代化された ソウルの街は 初めて行った私たちでも動きやすかった。でも近代化されすぎて 少し驚いた。グローバライゼーションのもたらす資源の豊かさと破壊力を感じた。開発されていっても 市場とか屋台は なくなってほしくないなぁ。韓国ソウルの街を闊歩していた軍服姿の青年たち。三年間の徴兵制度をするせいか かなり韓国の男の人は がたいが よかったように思う。ソウルにある米軍基地も訪れたかった。ランダムな感想ですいません。けど また絶対 韓国行くぞーグー
| ぽてとちきん | オススメ☆旅 | 02:19 | comments(2) | trackbacks(0) |
沖縄J嫐邯邸κ瞳慨霖鰐簑
雨沖縄五日目

午前中は宿近くの海辺を散歩魚
海 貝☆素敵な宿☆

この日開催される Peace Music Festaに参加するため 辺野古に向かった。

「沖縄県名護市に 辺野古(へのこ)という場所がある。辺野古の海には サンゴやウミガメ 天然記念物のジュゴンが生息している。そんな豊かな辺野古の海辺に隣接する キャンプシュワブ沿岸に 日本政府は 住民や県知事の反対を無視して 巨大なヘリ基地を建設しようとしている。これに対し 辺野古のおばぁやおじぃが9年間に渡って 豊かな海を守るため 戦争をとめるため 座り込みを続けて 反対している。」

このことを去年 大学の別のゼミでの公開発表のときに知って以来
一度訪れて 自分の目でみなければ と思っていた。

実際に行ってみてみたものは 驚くべき光景だった。

辺野古1辺野古2
辺野古の海辺のすぐそばに キャンプ・シュワブという米軍基地があるのだけど、こんなすぐとなりに? というくらい すぐ近くに基地はあった。
キャンプシュワブは このフェンスのすぐ向こう側。

辺野古3有刺鉄線辺野古4・NO BASE
イラクで使われているものと同じ 有刺鉄線。
小さなカミソリの刃が たくさんついている。
そこにくくりつけられている たくさんの布には NO BASEと書かれている。

辺野古5.監視カメラ辺野古6・水陸両用車
辺野古では 昨年 日本政府が雇った基地建設のための業者と 
基地建設反対住民や活動家たちの 海上での激しい戦いが繰り広げられ 
住民の勝利に終わった。(といってもまだ戦いが終わったわけではない。)
そして 激しくなった反対運動を監視するための カメラが設置された。

この坂道は 米軍の水陸両用車の訓練のために 削られている。
基地があるということは 演習を行うということ。
軍事演習とは 戦争でどうやって人を殺すかなどを訓練するためのもの。
人を殺すための兵器を使って 日々訓練が行われている。
辺野古の基地からも イラクに向かう兵士がたくさんいるという。

こういった軍事基地は沖縄にたくさんある。極東最大といわれる嘉手納基地。
住宅地に囲まれた普天間基地。などなど。
日本の面積の僅か0.6%の沖縄に 日本にある米軍基地の75%がある。↓
BASES
基地が近くにあるということは 当然たくさんの社会問題も引き起こす。
米兵の起こすあらゆる犯罪や離着陸時の騒音問題。
沖国大でのヘリ墜落事故は記憶に新しい。

地元沖縄の新聞は 毎日一面に基地のことを大きくとりあげている。
私達の読む新聞では どうだろうか。私達のニュースでは どうだろうか。

沖縄と本州(?)の温度差に 一番驚いた。
わたしたちは あまりにも 知らない。 沖縄がどうなっているのか。
どういう歴史を辿ってきたのか。 沖縄の現実は どうなのか。
わたしたちは 知らされていない。なぜ? 
見えなければ何も起こっていないような そんな雰囲気になっているのは なぜ? みえなければいいの? 知らなければ 全て 通り過ぎる。

基地の是非や 基地をどうするのか も勿論考えていかなくてはならない。
だけど その背景にある 歴史・経済・政治もあわせて 解決策を考えていかなくてはならない。基地がなくては生きていけないようにした日本政府。アメリカと日本の間で翻弄された沖縄の人々の歴史。日米安全保障条約。沖縄で行われた戦争。今も行われている戦争。それらをもっと知って もっと考えて 自分なりの結論を出さなきゃと思う。

ここで見た 事実を元に。 ここで戦ってきた人々の 言葉を胸に。

             「風」       石川逸子
遠くのできごとに
人はやさしい
(おれはそのことを知っている
 吹いていった風)

近くのできごとに
人はだまりこむ
(おれはそのことを知っている
 吹いていった風)

遠くのできごとに
人はうつくしく怒る
(おれはそのわけを知っている
 吹いていった風)

近くのできごとに
人は新聞紙と同じ声をあげる

近くのできごとに
私たちは自分の声をあげた
(おれはその声をきいた
 吹いていった風)

近くのできごとに
人はおそろしく
わたしたちは小さな船のようにふるえた
(吹いていった風)

遠くのできごとに
立ち向かうのは遠くの人で
近くのできごとに
立ち向かうのは近くの私たち

(あたりまえのウタを 風がきいていった
 あたりまえの苦しさを 風がきいていった)
                      詩集「子どもと戦争」

遠くの出来事=違う国の出来事:イラク戦争・パレスチナ問題
近くの出来事=身近なこと:米軍基地問題

この‘近くの出来事’は 沖縄だけの問題じゃない。
本土に住む 日本人全員の問題でもある。

これを最後まで読んでくれた人が 写真や詩を通して
少しでも何か思うきっかけになれたら と思う。
(読んでくれてたら どうもありがとう)

自分のできることを 少しづつだけど 考えながらやっていきたい。

最後に 一緒に旅をしてくれて ほぼ全プロデュースしてくれた友人に感謝てれちゃう
そして沖縄で活動しているくまちゃんと友人のかんきちさんやジュゴンの家の人々、テント村で出会った人々、みなさんどうもありがとうございました。
とてもお世話になりました。

ここにまだまだ書けない位 色んなこと感じた。考えた。
そのきっかけになった 今回の旅が出来たことに 感謝したい。
ありがとうラブ
| ぽてとちきん | オススメ☆旅 | 05:07 | comments(3) | trackbacks(0) |
沖縄∪鐇廚鬚瓩阿辰
車沖縄四日目

沖縄で活動している友達が紹介してくれた かんきちさんに
沖縄南部の戦跡に連れて行ってもらう自動車

南風原陸軍病院壕跡→糸数アブチラガマ→ひめゆり平和祈念資料館→魂魄の塔

・糸数のアブチラガマは 今回の旅で忘れられない場所のひとつ

ガマとは自然豪のこと。いわゆる鍾乳洞のような場所で 沖縄にはたくさんあるという。沖縄戦ではこれらのガマが住民の避難場所となったり、陸軍病院となったりして使用されていた。沖縄の人々にとってはガマという言葉はすぐに沖縄戦を連想させるぐらい 強烈な場所として記憶に残っているそうだ。日本軍がやってきて住民を追い出したりして、住民たちがでていくことをよぎなくされたガマもあるという。また、米軍が沖縄に上陸したとき、軍人と住民が一緒に避難していたため、これらのガマは生き埋め攻撃にあったりガス攻撃を受けたりして多数の住民死者をだした。
アブチラガマ

ガマの中は懐中電灯で照らされる光が頼りないくらい暗く、湿っていてすべりやすかった。こんな暗い中でろうそくの光だけで二ヶ月間も生活するなんて想像ができなかった。それだけでも考えられないのに、ここは病院として使用されたため、負傷兵や脳症患者などがたくさん収容され、このガマでも働いたひめゆりの女学生を思うと、想像以上の過酷な環境に何も言葉が出なかった。普通に歩いているだけでもずっとこわかった。その上、米軍上陸後は米軍の攻撃を間近で受け、一度は砲弾がガマに的中しそうになったという。住民たちも恐ろしい思いで生活し、誰も自分たちを守ってくれない恐怖感と不安感に毎日を朝とも昼とも分からず過ごしていただろう。湿気や暗がりの中で聞こえるうめき声や血のにおい、600人以上があの中で生活していたことを考えることは、今のわたしたちにできる重要な追体験の一つだと思う。

ひめゆりの塔

・ひめゆり平和祈念資料館ではひめゆりの女学生達の通った学校の歴史から戦争にまきこまれていくまでが資料と共に展示してあった。通称ひめゆりと呼ばれている人々は沖縄師範学校女子部と県立第一高等学校に通った人たちを指す。これらの学校は教員になりたかった人々や教養をより深めたい女性達が通った学校だった。この学校から240名の女性徒と教師が戦場へ借り出され、陸軍病院などで負傷兵の世話、爆弾の飛ぶ中での糞尿の始末、手や足などを切断する際の兵士の支え役や切断された手足の受け取り役などなどをさせられた。
年齢は自分と同じかそれより若い16歳〜22,3歳の女性たちだ。
彼女たちは一番多感な青春時代を戦場で過ごさざるを得なかった。
同じく二十歳で終戦を迎えた茨木のり子さんの有名な詩を紹介したい。

        「わたしが一番きれいだったとき」    茨木のり子
さとうきび畑わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

うちなーわたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
                    ね
                       おんなのことば より

戦争ってどういうことだろう。
戦争で愛する人々を失うってどういうことだろう。
戦争でからっぽになってしまう自分ってどういうことだろう。
戦争で愛する場所が崩されていくのをみるってどういうことだろう。

想像してみてほしい。あの時の体験はわたしたちにはできない。
でも 想像することならできる。
だから こういう場所に行って 想像してみてほしい。

政府に作られた祈念館もいいけど 民間の人々によって勇気をもって公開され守られてきた こういった祈念館や戦跡に行くと もっといろんなことを ストレートに感じられるような気がした。

| ぽてとちきん | オススメ☆旅 | 04:54 | comments(2) | trackbacks(0) |
沖縄ー麥ぁΠ盛顱ζ畴
2月15日〜25日の 沖縄〜韓国の旅 を終えて。
たくさん食べて たくさん感じて たくさん学んで たくさん見てきた
充実した旅だったグッド 

このブログでは 詩と写真を感想と交えて 紹介していきたいきのこグリーン

長いから 気になるとこだけ 読めたら読んで(笑)

飛行機沖縄一日目

首里城で見た夕焼けに感動 
shuri yuuyake
もう ほんっと綺麗で 暫く見入った見る

早速食べた 首里城近くの 沖縄そば めちゃうまラーメン

船沖縄二日目

粟国島にて 「ゆっくりと、ゆったりと、一日36時間の体感」
という キャッチフレーズ通りの 時間を過ごすラブラブ

ウクレレを 弾きながら♪ 島の人や子どもたちと挨拶を 交わしながら♪
自転車を頑張ってこいだのは 高校生以来だった自転車

あぐに〜あぐに やぎ

自分はどちらかというと ゆっくり 進むほう。
東京にいると 時々 人の多さと 皆の歩くスピードの早さに
ついていけなくなる。

だから この詩はたまに読むと ホッとさせてくれた。
そして この島は この詩に ピッタリの場所だった。
          
       「南の絵本」       岸田衿子

いそがなくったっていいんだよ
オリイブ畑の 一ぽん一ぽんの
オリイブの木が そういっている
汽車に乗りおくれたら
ジプシイの横穴に 眠ってもいい
兎にも 馬にもなれなかったので
ろばは村に残って 荷物をはこんでいる
ゆっくり歩いていけば
明日には間に合わなくても
来世の村に辿りつくだろう
葉書を出し忘れたら 歩いて届けてもいい
走っても 走っても オリイブ畑は
つきないのだから
いそがなくてもいいんだよ
種をまく人のあるく速度で
あるいてゆけばいい
                   すてきな詩をどうぞ より

ゆっくりしたこの島は たまにくる人にとってはよいのだろう。
けど住んでる人にとっては ちがう課題がいっぱいあるようだった。

島には高校がない。 子どもたちはみんな 中学を卒業したら
那覇にある高校に通わなければいけない。 
卒業生は 10名以下。もう少ししたら まるで 瑠璃の島。

子どもたちが帰ってきても 
島には若い彼らを満足させられる環境は整っていない。
水産業も発達してなければ 観光業もあまり力をいれていない。
(せっかく映画の舞台になったのに あまり宣伝してない。)
だから 帰ってきても 仕事があまりない。
若い人たちが どんどん出て行ってしまう。

これからこの島は どうやって 生き残っていくのか。 

生きてくのは 大変だ。 ここにも 理想と現実のギャップがある。

いろいろ問題はあるだろうけれど 
粟国島の いろんな離島の中でも 頑張らない感じが 
好きだったりするパクッ また 行こうさくらんぼ 

飛行機沖縄三日目

フェリーが欠航したので 飛行機RNA(琉球エアーコミューター)で
那覇空港に到着イケテル

フェリーで出会ったお兄ちゃんに 沖縄ならではのハンバーガーショップ
A&W(エンダー)に連れてってもらったり タコライスを食べたり 
その後は モノレールに乗ったり電車
そして 国際通り、平和通り、壷屋、などの観光客街を闊歩ジョギング

シーさーサンシン

三線を弾かせてもらったり お土産を買ったりして 楽しかったプシュー

夜には沖縄県庁前にて那覇凱旋をしていた辺野古座り込みの人々と合流
ビラ配りと3.5の沖縄県民総決起大会の宣伝のお手伝い。

| ぽてとちきん | オススメ☆旅 | 04:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
沖縄☆粟国島☆
20060216_130569.JPG
はいはいは〜い~ヽ('ー`)ノ~ただいま 沖縄へ来ております♪♪

昨日着いて 首里城見て 夕焼けに 感動☆

今日は 映画『ナビィの恋』の舞台となった 粟国(アグニ)島に来てますo(^-^)o

ここは多分 ナビィがサンラーに別れを告げる場面の場所!だと思うよ!キレイな海や!福井と違う感じの海や!浜に上がった珊瑚と貝 拾ったよ

雨が降って 星☆は見れないけど

素敵な島やぁ〜( ̄ー+ ̄)


| ぽてとちきん | オススメ☆旅 | 23:31 | comments(6) | trackbacks(0) |

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